2025/07/05

結婚は躁鬱だった

昼寝してたら怖い夢をみた。


夢の中で、私は結婚した。

ツアーで訪れた南スペイン、アンダルシアのまぶしい街で、

偶然出会った日本人のハイスペックな男。180cm、金融系、高学歴、保険証持参。

ラブラブというほどではないが、彼は私を好きだと言い、私は「まあ、試してみてもいいか」と思った。

好きだったかどうか、正直よく覚えていない。たぶん好きだった。でも信じきれなかった。


婚姻届は簡単だった。

ツアー中の宿の近くにある日本大使館に行って、数枚の書類を出しただけ。

結婚は驚くほどスムーズで、だからこそ怖かった。

変わるはずの何かが、何も変わらなかったから。


彼は旅行中、私を食事に連れて行ってくれた。

でも、帰国前に空港で「このぬいぐるみかわいいね」と言ったとき、

彼は買ってくれなかった。

言えばよかったのかもしれない。でも言えなかった。

セックスは楽しかった。

でも、愛されているという実感は、そのとき以外、どこにもなかった。


成田空港に着いたとき、彼は「じゃあ、僕こっちだから」と言って、

何の余韻もなく、消えていった。

まるで、もう二度と会わなくてもいいという感じで。


私はぽつんと残されて、こう思った。

「……私、籍いれちゃってる?」



現実では、私は誰とも結婚していない。

でも夢の中で“結婚”してしまったときの、

あの「終わりが始まりにならない」感覚が、今でも胸に残ってる。


指輪もなければ、式もなかった。

ただ婚姻届だけが、人生を変えたフリをしてそこにあった。



実際にも、似たようなことがあった。

ある男が、レコードを買ってくれた。

私が欲しいと言った婚約指輪も、見に行って、買ってあげるよと言ってくれた。


でも私は、彼のことが好きじゃなかった。


愛されていることと、愛していることは、別物だった。

その差があるうちは、何かを始めちゃいけないとわかっていた。

わかっていたのに、夢の中では籍を入れてしまった。



結婚って、報告するか、破局を告白するか。

そのどちらかしか語られない。


間にある日常の不満や、ぬいぐるみをねだれなかった気まずさなんて、

他人に言ったところで「見る目がなかった」「我慢が足りない」と言われるだけだ。

だから、誰もあんまり語らない。


結婚は躁鬱だ。

躁のふりをして始まり、

鬱のように語られて終わる。

でもその間の、“なんでもない毎日”の中で、

人は静かに壊れていくのかもしれない。

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