2026/01/24

君は他の子と違うね

昔、エマ・ワトソンが
何かのスピーチで
「女の子は男性の前で自分を馬鹿に見せようとしちゃだめ。
それって自分を下げることだ。」
と泣きそうな顔になりながら、話している動画がネットで話題になった。

割と、世界中の女の子の心を掴んだ動画だったと思う。

日本でも、「合コンのさしすせそ」という女子が男子に好かれる会話テクニックみたいなのが、MVみたいにもなってたし。

ちなみに、さしすせそとは、
さすが、知らなかった、すごい、センスいい、そうなんだと自我を消して話すことで男性のエゴとポコチンを撫でる行為。男性にも失礼である。

ただ最近は、男性もバカな女の子は嫌だって風潮があるみたいで、そこまで自我のない女子は好かないようだったり、時代の流れで、そこまで女性が男性に媚びる必要はなくなったように感じる。

だけど、その先にできたのは、
男性に媚びない女ではなく、
男性に“評価される知的な女”という、
また別の都合のいい像に感じる。

女性がデート相手に「地頭いいよね」と言われて、喜んでるポストを見て、

私はなんで男性が女性の知性を評価するポジションに立っているのか全くわからなかった。
男性も悪気があって、言ったわけじゃないのも想像できる。

知性は本来、点数をつけられるものじゃないし、
対等な関係なら「評価」ではなく「共鳴」になるはずだ。

男女混合の空間にいないと、異性の視点ってどんどんわからなくなってくる。
たぶん、こういう評価を下す男性はまともな女性と普段関わりがなく、女性が普段何を考えているか、どういう生き物か知らないから単純に、女性の思考に驚いたのかもしれない。

ただ、なぜか上からジャッジをくだすような言い方なのか。無意識に自分は評価者だと思っているのか。それとも、対人関係の知性がないのかもしれない。

そもそもデート相手の社会人男性が同い年だったら、
せいぜい数百万“程度”年収が高いだけだろう、
そして、日本の企業はだいたい年収1000万が頭打ちだったりする。

すでに年収が倍くらいある男性に評価されるならまだしも、数百万程度でジャッジを下すなんて、知性があったら恥ずかしくてできない。

大学生同士で明確な偏差値の差があっても、
俺は高学歴だから、お前は下みたいな態度もよくないと思う。権威主義だ。ただ良い大学に行っただけでまだ何も成し遂げてない。

高学歴で社会的地位もある男性がそうじゃない女性をデートに誘い、マウントを取ることも許されない。権威主義だ。
それは関係性を壊す、いちばん安い態度だ。
女性の他の魅力で惹かれたのに、なぜか自分の土俵で戦わせようとする。卑劣な行為だ。

男性だって、
TikTokで変なダンスを踊り、動画撮って、再生数がすごいスキニーとカラフルなスニーカーを履いた男に
「お前以外とやるやん笑」
って言われたら、なんかむかつかない?

男性とデートみたいな環境で話すと、褒めたつもりで評価してくるからうんざりする。

それは「君は他の子と違うね」みたいな別の言葉だったりもする。

人はそれぞれ、これって私だけ?って部分が誰にでもあると思う。
その孤独に、やっとわかってもらえたみたいな言葉が落ちてきたら、一瞬嬉しくなるのもわかる。

ただ、君は(思ったより)賢いね、君は他と違う(から面白い)みたいな評価は無意味だ。

この時代、女性は男に容易にジャッジされてはいけない。

「君は他の子と違うね」と言われるたび、
私はその言葉が示す“他の子”の輪郭の曖昧さに、
いつも少しだけ冷めてしまう。

たぶん私は、
評価されたいわけでも、
特別扱いされたいわけでもなく、
ただ対等に話したいだけ。

——— ©️DSH / 2026

墓石屋の娘の恐怖

子どもの頃、ロサンゼルスで墓石屋の娘に会ったことがある。

太陽がやたらと明るくて、空は青くて、
あの街は死の話をするには、あまりにも似合わない場所だった。

その子は、何の前触れもなく言った。

「人間って、死んでも一回生き返る可能性があるんだって。
もし、遺体を焼いてる途中で目が覚めたらどうしよう。
めっちゃ怖くない?」

私はそのとき、知識もなく、反論もできず、
ただ「確かにそれは怖いな」と思った。

焼却中。
意識が戻る。
誰にも気づかれない。

今考えれば、そんなことは起きない。
心臓が止まって時間が経てば、脳も臓器も不可逆的に壊れる。
医学的にも、制度的にも、そこに“目覚め”の余地はない。

それでも、人間はミラクルという言葉が好きで、
だから通夜という時間があるのだと思う。
奇跡を待つためじゃなく、
「もう戻らない」という事実を、
生きている側が受け取るための猶予として。

理屈はわかっている。
でも、あの話は、今でもどこか嫌いじゃない。

世界には、完全に説明されすぎているものが多い。
死も、制度も、安心も、全部きれいに整理されている。
でも、あの話は、その整理された世界に、
一瞬だけ裂け目を入れる。

絶対に確認できない瞬間。
もしも、という想像。
知ってしまった気になる感触。

たぶん、陰謀論に惹かれるときの気分って、
こういう感じに近いのだと思う。
信じたいわけじゃない。
ただ、世界が完全ではないかもしれない、
その“手触り”が残る感じ。

あの話を聞いたのが、
ロサンゼルスだったのもよかった。

太陽がキラキラして、
死なんて存在しないみたいな街で、
いちばん暗い想像をしたこと。

それは今でも、
少しだけ怖くて、
少しだけ美しい。

2026年は、
どんな“世界”から目覚める感覚を味わえるのだろう。

感覚がまだ生きてることを願う。


——— ©️DSH / 2026