2025/07/29

『ひとくちちょうだい』に、文化と孤独が詰まってる話

「ひとくちちょうだい」って、なんなんだろう?


最近、食い尽くし系夫のポストがXで流れてきて、思い浮かんだ4つのエピソードを書いてみた。 

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日本は痩せ型の人が多いけど、根は食いしん坊な民族だと思う。

グルメ番組にグルメ漫画、コンビニスイーツの新作、食べログの星、食土産。

“食”をめぐる会話で、私たちはどれだけ日々をやり過ごしているんだろう。


そしてそれは、言葉にもにじみ出ている。

「食べ物の恨みは怖い」

「食卓を囲む」

「同じ釜の飯を食った仲」


日本語って、食を「ただの栄養補給」じゃなくて、

人間関係そのものとして扱ってるんだと思う。


つまり、食べ物を共有するって──

・愛情

・信頼

・礼儀

・記憶

・絆

これ全部がセットになってる。


食べるという行為は、娯楽であり、癒しであり、自己表現であり、他者とのつながりでもある。

だからこそ、それを「奪う」とか「独り占めする」とか、「値踏みする」って、

地味だけど、確実に人を傷つける。


私も子どもの頃、エスカルゴを独り占めして親にめちゃくちゃ怒られたことがある。

“もらい方”にも、“もらわせ方”にも、品と気配りが要るのだと、そのとき学んだ。


だから食い尽くし系夫のポストには怒りを感じるし、

「妻がカロリー計算できてなくて、量が足りないんじゃないか」みたいな反論には、

もうその瞬間から冷めてしまう。


もちろん、逆のパターン、

妻のDVで、夫や子どもがまともに食べられてないケースもあるだろう。


でも結局のところ、

食べることは“心の体温”を測る行為でもある。


・この人と一緒に食べたいか?

・安心して口を開けられるか?

・一口を分けたくなる相手か?


食べることは、生きること。

でも「どう食べるか」は、誰と生きるかを映している。


一口の交換に、私たちはいつも、

愛と欲と、孤独を込めている。


奪われたのはポテトじゃない。“ひとくち”ぶんの優しさだった。

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