「ひとくちちょうだい」って、なんなんだろう?
最近、食い尽くし系夫のポストがXで流れてきて、思い浮かんだ4つのエピソードを書いてみた。
日本は痩せ型の人が多いけど、根は食いしん坊な民族だと思う。
グルメ番組にグルメ漫画、コンビニスイーツの新作、食べログの星、食土産。
“食”をめぐる会話で、私たちはどれだけ日々をやり過ごしているんだろう。
そしてそれは、言葉にもにじみ出ている。
「食べ物の恨みは怖い」
「食卓を囲む」
「同じ釜の飯を食った仲」
日本語って、食を「ただの栄養補給」じゃなくて、
人間関係そのものとして扱ってるんだと思う。
つまり、食べ物を共有するって──
・愛情
・信頼
・礼儀
・記憶
・絆
これ全部がセットになってる。
食べるという行為は、娯楽であり、癒しであり、自己表現であり、他者とのつながりでもある。
だからこそ、それを「奪う」とか「独り占めする」とか、「値踏みする」って、
地味だけど、確実に人を傷つける。
私も子どもの頃、エスカルゴを独り占めして親にめちゃくちゃ怒られたことがある。
“もらい方”にも、“もらわせ方”にも、品と気配りが要るのだと、そのとき学んだ。
だから食い尽くし系夫のポストには怒りを感じるし、
「妻がカロリー計算できてなくて、量が足りないんじゃないか」みたいな反論には、
もうその瞬間から冷めてしまう。
もちろん、逆のパターン、
妻のDVで、夫や子どもがまともに食べられてないケースもあるだろう。
でも結局のところ、
食べることは“心の体温”を測る行為でもある。
・この人と一緒に食べたいか?
・安心して口を開けられるか?
・一口を分けたくなる相手か?
食べることは、生きること。
でも「どう食べるか」は、誰と生きるかを映している。
一口の交換に、私たちはいつも、
愛と欲と、孤独を込めている。
奪われたのはポテトじゃない。“ひとくち”ぶんの優しさだった。
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