高校の同級生に、小柄で甘えん坊な子がいた。
下の名前は忘れてしまったけれど、苗字から取って、Iちゃんと呼ぼう。
Iちゃんはよく、誰かに抱きついていた。
すごく仲がいいわけでもない私にも、時々、抱きついてきた。
人懐っこい子どもみたいで、かわいかった。
でも私は、人に触れられるのがあまり得意じゃなかったから、少し困った。
ペットボトルを持っていると、Iちゃんは必ず「ひとくちちょうだい」と言ってきた。
絶対に知っている味のお茶でも。
飲むのはほんのちょびっとで、なぜひとくちもらうのか、最初はよくわからなかった。
でも、彼女はいつもちゃんと「ありがとう」と言っていた。
⸻
高2のとき。
担任の先生が、Iちゃんがいない教室で、彼女のお父さんが亡くなったことを伝えた。
Iちゃんのお父さんは、殉職がありうる職業の人だった。
けれど、それではなく、長く闘病して亡くなったことが、なんとなくわかった。
⸻
Iちゃんの家には、ずっと病気のお父さんがいた。
家のなかは、きっと張りつめていたのかもしれない。
お母さんに甘えることなんて、できなかったのかもしれない。
だからせめて、学校だけは——
天真爛漫で、無邪気な子どもでいたかったのかもしれない。
⸻
Iちゃんは、いろんな子に「ひとくちちょうだい」と言っていた。
でもそれは、決まってペットボトルの飲み物だった。
お弁当やお菓子には、ほとんど言わなかった。
飲み物だけ——
きっと、それ以上を求めたら、嫌われるって思っていたのかもしれない。
ほんのひとくちで、“つながっていたい”と願っていたのかもしれない。
いま思えば、あの「ひとくち」は、
飲むというより、「確かめる」行為だったのかもしれない。
私はここにいてもいい?
あなたは、私を拒絶しない?
ちょっとだけ、あなたのものを分けてくれる?
そんなふうに。
⸻
たったひとくちの水分で、それを確認しようとする人がいる。
この世界で、私たちは、どれだけの優しさを持てるだろう。
関係ないけどバスケ部だったから人のペットボトルで飲む時自分も友だちも飲み口に口をつけないで飲むのが常識だった。大人になってからはすきな人のペットボトルでも飲むのやだよね笑
返信削除