森アーツセンターで開催中の「la Galerie du 19M」。
シャネルのクラフトマンシップを讃える展示──のはずだった。
でも、ある部屋で私は立ち尽くした。
吊るされた繭、赤と黒の布、落ち葉に包まれた供物のようなオブジェ。
そこには“高級メゾン”ではなく、“儀式”の空気が漂っていた。
| ガデループの奴隷史博物館で見た祭壇 |
ガデループ島の奴隷史博物館で見たヴードゥーの祭壇に、あまりに似ていた。
呪いと祈りの境界が溶ける場所。
そういえば、シャネルもかつて、世界を呪った女だった。
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黒いドレスの呪い
1920年代、シャネルの恋人アーサー“ボーイ”カペルが交通事故で亡くなった。
彼女は絶望の果てに黒い服しか着られなくなった。
その悲しみが、後に“リトル・ブラック・ドレス”として世界に流行した。
つまり── つまり、ひとりの女の喪が、世界のスタイルになった。
ひとりの女の悲しみが、文明の制服になった。
シャネルはファッションを発明したのではなく、
悲嘆を世界に感染させたのだ。
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la Magie:手仕事の祈りと降霊
今回の展示「la Magie(マジック)」では、
糸や羽、金属、布といった素材が、まるで呪具のように組み合わされていた。
吊るされた繭のような形は、胎児にも、亡霊にも見える。
足元の落ち葉は、大地と死をつなぐ皮膚のよう。
そこには「クラフト=技術」ではなく、「クラフト=降霊」という思想があった。
針と糸で縫われているのは、布ではなく“記憶”そのもの。
美とは、死者と交信するための形式。
そう感じた。
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美と呪いは紙一重
世界を黒で覆ったシャネルの“美学”は、
実は霊的な執念だったのかもしれない。
悲しみを商品にし、喪失をデザインに変える。
それが彼女の魔法=la magie。
今回の展示で見たクラフトの数々は、
その魔法がまだこの世をさまよっている証拠のようだった。
彼女はもういない。
けれど、黒は今も流行している。
つまり、呪いはまだ解けていない。
そこは展覧会というより、呪術のための礼拝堂のようだった。
来ていた女たちは亡霊に取り憑かれていた。
※追記 2025年10月11日
ヴードゥの祭壇はマルティニーク等ではなく、ガデループ等でした。
訂正させていただきます。
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©️DSH / 2025
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