2025/10/11

Validation is Kink──承認欲求という名の性癖

私たちは「承認欲求」を病のように語る。

癒やされぬ欠陥。

道徳の亀裂。

タイムラインの隙間から滲み出す、甘い膿。


けれど、それは本当に悪なのだろうか。

見られたいという衝動は、

触れられたいという欲と、どこが違うのだろう。


結局、私たちは誰かの視線で濡れたいだけだ。

ラテックスを纏った自我。

“意味ある存在”であろうと喘ぐ魂。



視線は指先に似ている。

「いいね」は短い愛撫。

「フォロー」はアフターケア。


ストーリーも、自撮りも、

すべては静かな露出行為。

私たちは“つながり”のふりをして、

ただ、前戯をしている。


「共有したい」と言いながら、

ほんとうは「消費されたい」と思っている。



“健全な自己肯定感”とは、

誰にも見られずに自慰を済ませられるという幻想だ。


けれど、私たちは見られたい。

読まれたい。

再生されたい。


人生は欲望のブラウザ履歴。

愛ではなく、記録。

——誰かが覗き込んだというだけの、存在証明。



もう、認めるしかない。

承認欲求は性癖だ。

恥じらいながらも、求めるのも可愛げ。


快楽と羞恥のあいだで、

今日も投稿を続ける。

演じながら、

アルゴリズムと交尾しながら。


匿名の好奇心。

私たちは、

インターネットでファックしている。

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