「斉藤さん」というアプリがあった。
チャットルーレットの通話版で、見知らぬ誰かと会話ができるというもの。
私は留学中、日本語が恋しくなって、たまに開いていた。
夜中にふと母語で誰かと話したくなっても、
時差のせいで日本の友人には連絡できなかったから。
ある夜、同い年くらいの男の子と、少し長く喋った。
ああいうアプリにありがちな、“すけべ心”だけで突っ走るタイプではなかった。
もちろん下心はあったと思う。
でも、どこかで「人と関わりたい」という寂しさが透けていた。
話し方が妙に軽快だった。どこかで聞いたような話しぶり。
だから私は言った。
「ねえ、君、どこかで配信とかしてるでしょ?」
すると彼は、ある小さな配信プラットフォームで喋っていると言った。
リスナーはほとんどいないらしい。
でも、彼にとってはそれでも、“誰かに話す”ことが必要だったのだと思う。
身の上話もしてくれた。
父親は東電の社員。
エリートだけどケチで、彼には高校卒業後に自衛隊の学校へ行けと命じたという。
母親は専業主婦で、気が弱く、彼の味方にはなってくれなかった。
彼はこう言った。
「自衛隊の試験ってどうやって受けるか知ってる?
車で家まで迎えに来てくれて、試験会場に送ってくれるんだよ。
なる人が少ないから高待遇でさ。試験も選択式で簡単なの。
でも、本当に嫌だったから、わざと全部間違えて落ちた。」
私はそのとき、画面越しに聞いていただけなのに、
自分の心のプルトニウムが、じわっと熱くなるのを感じた。
あれは、東日本大震災から数年が経った頃だったと思う。
彼は東北の人ではなかった。
でも、彼の家にはまだ、目に見えない被曝があったのかもしれない。
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