2025/12/24
友情という、持たざる者の無形資産
2025/12/23
物分かりのいい女の修羅道
昔、仲の良かった女の子は、いつも割り勘で男性と付き合っていた。
彼女は「高学歴低収入の男性が好き」と自称していた。
払いたくても払えない男性と関わることが多かったんだと思う。
たしかに、貧乏で頭のいい男性は、高収入でまともな人よりユーモアがある場合がある。
経済力がないぶん、そういう方向に進化したのかもしれない。
でも、彼女があえてそういう男性を選ぶのは、
「理解者のポジション」にいたい、という欲望が透けて見えた。
彼女は安定した企業に勤めていた。
その会社を選んだ理由も、大学卒業の頃に好きだった男性が芸人で、
「自分が支えられるかもしれないと思ったから」だと言っていた。
最後に入れ込んでいた男性には、自分の貯金が200万円あることを話したらしい。
理由を聞くと、「お金がないって言ってたから、頼ってくれるかなと思って」と言っていた。
でも、貧乏を自覚している男性ほど、
女のほうが自分より貯金を持っていると知ったら、プライドが折れることもある。
知性とプライドがある男なら、なおさらだと思う。
私は、200万円は人を殺すのに十分な金額になり得るから、
そういうことは、持たざる男性には言わないほうがいいと伝えた。
彼女は割り勘でデートして、すぐに体の関係にもなっていた。
それを自由とか対等だと言う人もいるけど、
私には、いつも彼女のほうが先に差し出しているように見えた。
男と寝たあと、
体調を崩して病院に通うこともあり、
そのたびに「彼女が損している」と感じて、悲しくなった。
それは彼女が悪いとか、軽いとかではなく、
いつも“物分かりのいい役”を引き受けているように見えたからだと思う。
しばらく経ってから、
彼女のしていたことは献身的に見えて、
実は支配的だったのかもしれない、と考えるようになった。
自分が「必要とされるポジション」に立ち、
相手が離れられなくなる関係をつくる。
そんなやり方だったのかもしれない。
男性にとっては鬱陶しく、
セフレ関係にはなっても、
恋人としては、選ばれない。
そういうことが何度もあった。
彼女には、得意なことも、与えられるものもあった。
それらは、関係を持った男性の実生活で役に立っていたこともある。
それでも彼女は捨てられたり、
あるいは、自分から離れることを選んでいた。
その後、彼女は結婚した。
初デートで「アロマンティックです」と言ってきた男と同棲し、
「同棲するなら、いつまでに結婚ね」と期限を切って結婚したらしい。
彼女は、顔が整った男性がいいと言っていた。
実際、中性的で綺麗な顔をした人だった。
結婚生活の話を聞くと、
彼女は生活を回す装置みたいになっていた。
ある日、彼女が残業で遅くなったとき、
LINEでカレーの作り方を細かく書いて、作るように頼んだらしい。
帰宅するとカレーはできていたが、米は炊けていなかった。
指示されないと、何も動かない人だった。
彼女の結婚式で配られた、雑誌風の式次第に書かれていた
「お互いの好きなところ」が、妙に印象に残っている。
彼女は、夫の「顔」。
夫は、彼女の「知識」。
そういえば、彼女は
「指輪を買ってもらえなかったこと、一生恨んでる」
と言っていた。
でも、ずっと割り勘で関係を築いてきた相手が、
結婚のタイミングだけ突然「象徴的なお金」を差し出すとは、
私にはどうしても思えなかった。
割り勘の関係って、平等に見えて、
実は「ここまでは出さない」という線を
お互いに確認し合う関係でもある。
指輪は、愛情というより、
「引き受けます」という意思表示だ。
それを出さない人が、
急に出すわけがない。
その後、彼女は夫との未消化の不満を、
私にぶつけてくるようになった。
私は、そこで距離を置いた。
最後に会ったとき、彼女は
「もうセックスしていない」「恋がしたい」と言っていた。
いまでも、過去に一番好きだった男のSNSを見ているらしい。
彼女は、ずっと物分かりのいい女だった。
たぶん、最後まで。
きっと、世間体を気にして離婚とかしなさそう。
それが彼女の修羅道だと気づかないままでいられることを、私は願っている。
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英語の “I” が消えた日 ──ヒップホップとインターネットが主語を殺した──
英語は、もともと「私」を中心に回る言語だった。
“I think.” “I feel.” “I love you.”
——その小さな “I” が、主張と責任を背負っていた。
けれど、時代が進むにつれ “I” はだんだん息を潜めていく。
いまや英語の中心には、「誰が言ったか」よりも「どう響くか」がある。
ヒップホップが変えた “I” の在り方
1970〜80年代、初期ヒップホップのラッパーたちはこう叫んでいた。
“I’m the greatest!” “I got the power!”
公民権運動後の「声を取り戻す」時代において、
“I” はアイデンティティの象徴であり、抵抗の手段だった。
だが90年代以降、AAVE(African American Vernacular English)が
メインストリーム化していくと、文法よりもリズムが支配する言語が生まれた。
“Gotta get paid.”(I gotta → “I” の省略)
“Feelin’ good.”(I’m feelin’ → 省略)
“Ain’t playin’.”(I ain’t → 省略)
主語がなくても通じる。
そこでは「俺が誰か」より「どう響くか」がすべて。
リリックの中で “I” は主張ではなく、ビートの一部になった。
⸻英語の文法が、黒人文化によって再構築された瞬間だった。
白人の文法からの脱却
AAVEでは「主語」や「be動詞」を削ることが“間違い”ではない。
むしろ、それは白人の文法への抵抗だった。
“He be workin’.”(習慣的な状態を表す独自のbe)
“Ain’t got time.”(be動詞を削除してテンポを優先)
つまり、“I”を言わないことは沈黙ではなく解放の表現。
「私はここにいる」と言わなくても、声がリズムに刻まれている。
“They” の時代——拡散する一人称
21世紀に入り、“I” は新しい姿を手に入れた。
それが “they” だ。
かつて英語は、「主語=個人」「代名詞=性別固定」だった。
でもいま、“they/them” は単数にも複数にもなり、他人にも自分にもなれる。
つまり、“I” の孤独が “they” に分散されたのだ。
これは単なるジェンダーの問題ではない。
“they” の拡張は、「私」という主語がもはや一人では語れない時代を象徴している。
SNS上では “I feel” より “we feel” が自然に響く。
“they say” に逃げるほうが安全で、やさしい。
私たちは “自分” という痛みを、“they” という集合に溶かしている。
SNSが “I” を軽くした
TikTok、X、Instagram。
どのプラットフォームでも、“I” はテンポに溶けていく。
“I’m gonna” → “Gonna.”
“I feel like” → “Feels like.”
“Did a thing.” “Made art.”
主語を削るたび、文は軽くなり、ミーム化していく。
自己表明よりも「流れ」に乗るほうが心地いい。
It’s not about who speaks, but how it feels.
“I” はもはや重すぎる主語。
SNSでは「共鳴」のほうが「主張」よりも価値を持つ。
英語はいま、日本語的な“ハイコンテクスト言語”に近づいている。
“I” の消失は、孤独の共有
Z世代の英語では、誰もが主語であり、同時に主語を持たない。
声はあっても、誰の声かは問われない。
ヒップホップの「集合的リズム」と、
SNSの「流動的文脈」が融合したとき、
英語はついに脱個人化された言語になった。
けれど、その先にあるのは静かな孤独。
“I” を言わないことで繋がるけれど、
誰も責任を持たない関係。
ただ “feelin’ something” だけが共有される。
英語は、日本語に近づいている
主語を言わなくても伝わる。
文脈で察する。
空気でわかる。
——英語が、ついに「わかるでしょ?」の言語になったのだ。
“I” を失った英語は、ポスト個人主義の時代の象徴。
それは敗北ではなく、進化でもある。
私たちはいま、リズムでつながる言語の時代に生きている。
そして皮肉なことに、それは「愛」や「自我」と同じく、
——もう誰のものでもなくなっている。
終わりに
もともと"I"は、存在の証だった。
でもいま、それは空気のように共有される匿名のビートになった。
もしかしたら私たちは、
"I"を失うことで、ようやく“私たち”に近づいているのかもしれない。
———
©️DSH / 2025