母の知り合いに、少し変わった人がいた。
娘が私の兄の同級生で、母同士が学校行事をきっかけに親しくなった。
最初は明るくて社交的な人だと思っていたけれど、すぐに違和感を覚えた。
電話が毎日のようにかかってくる。
出ないと、呼び出し音が切れた瞬間にもう一度かけてくる。
話し方は早口で、声は高く、どこか甘ったるい。
笑っているようで、どこか切迫していた。
彼女の夫は医者だった。
ある日、彼女がぽつりと言った。
「お前なんか、俺が一筆書けば入院して出てこられなくできるんだからな、って言われたの」
冗談のように語ったけれど、目の奥には何も映っていなかった。
彼女がどういう人間であれ、その言葉を口にする夫の方にも、別の種類の狂気があった。
家全体が、どこか壊れているように見えた。
娘は学校でいじめられていたという。
頼んでもいないピザが届いたり、容姿をからかわれたり。
母親は娘も医者にしたいと口癖のように言っていたけれど、
娘はそういう重さを背負える子ではなかった。
一度見かけたことがあるが、要領の悪そうな子だった。
ある日、その母親がチョコレートの箱を持ってきた。
ハワイのお土産のような派手なパッケージ。
母が受け取って、リビングに置いておいた。
夜になって開けてみると、
中の一粒だけ、すでに食べられていた。
たぶん、口に合わなかったのだろう。
でも、それをそのまま“贈り物”として渡してくる神経に、
言葉にならない薄気味悪さを感じた。
母は電話をかけ、静かに言った。
「こういうの、いりません」
その一言で、すべての関係が終わった。
それ以来、電話はかかってこなくなった。
でも、私はしばらくそのチョコレートの箱を見つめていた。
誰かの口に触れたものを、
「これ、あなたに」と差し出すときの無邪気さ。
友達を急に家に泊めて「歯ブラシ貸して〜」と言われ、
予備の新品を渡したら、
「ありがとう、返すね」と言って返されたような、そんな違和感。
それは悪意ではない。
ただ、世界との境界を知らない人の仕草だった。
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