2Pacはマドンナを濡らした。
彼の叫びは信仰を背負い、階級を越えて、女神をも濡らす力を持っていた。
日本のラッパーはどうか。
丸の内のにゃんにゃんOLすら濡らせない。
残酷だけど事実だ。
黒人の真似をして銃を構える。
リボルバーは選ばない。狙えないから。
AKで撒き散らすビートは、小便の飛沫のように粗末だ。
彼らの女は、黒人女性ではない。
母でもなく、信仰でもなく、キモいAVのコピーだ。
その趣味は浅く、響きは軽く、文化の厚みは欠片もない。
人気者たちは、少しラップがうまいおじさん、
自己プロモーションを器用に操っただけの顔。
カルマと呼ばれた男にリスペクトを捧げるサラリーマンたち。
それはカルチャーではなく、村八分を恐れた社内営業。
給食を食べて育った子どもが、飢えを歌う。
川崎でやんちゃごっこをする。
便利な都市で燻りながら、黒人の歴史を盗んで「リアル」と叫ぶ。
文化はそこにはない。
あるのは承認欲求の空砲と、粗末な銃声だけだ。
薄っぺらい日本のラッパーは地元のスナックでカラオケをしていればいい。
日本のラッパーは、地元のスナックでママに褒められていればいい。
本物の“リアル”は、銃口じゃなく魂の震えに宿る。
Keep it real.
下品なamazarashi
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