デートを割り勘にするかどうかは、
定期的に男女間で炎上する話題だ。
「対等で健全」
「男が奢るのは古い」
「フェミニズム的にどうなの」
毎回いろんな正論が出てくるけど、
私が思う割り勘の一番の問題はそこじゃない。
割り勘は、情緒を勘定できない。
金を出さない代わりに、
時間、気遣い、若さ、身体、感情を差し出す関係になると、
その支払いは数値化されない。
数値化されないものは、清算できない。
だから、情緒で払う関係になる。
実際、私が関わった男性を思い返すと、
なぜかお金を出さない人ほど口を出してきた。
生活、服装、考え方、人間関係。
金を出していないぶん、
「意見」で元を取ろうとする感じ。
口を出すことで、男らしさでも示してたのかな。
そして、そういう関係ほど別れが拗れる。
なぜなら、誰も「払った/払われた」を確定できないからだ。
男は
「時間は使った」
「気持ちは本気だった」
と言い、
女は
「削られた」
「損をした」
と感じる。
どちらも未回収で、
別れは感情裁判になる。
判決が出ないまま、関係が終わる。
一方で、金のある男は不思議と時間がない。
だから関係に際限なく消耗しない。
会う頻度も、距離感も、支払いも現実的だ。
冷たいようで、実は清算性がある。
金を曖昧にする関係ほど、
情緒で縛り合う。
情緒で縛る関係ほど、
後で壊れる。
そう思うようになってから、
椎名林檎の「丸の内サディスティック」を聴き直して、
急に腑に落ちた一行がある。
領収書書いて頂戴
あれ、
金の話じゃない。
恋の領収書だ。
曖昧な関係の中で差し出してきたものを、
せめて無駄じゃなかったことにしてほしい、
という最後の会計処理要求。
割り勘は平等でも成熟でもない。
清算不能な負債を、
関係性という名目で温存する思想だ。
だからあの一言は、
支離滅裂な恋の歌の中で突然出てくる。
突然、
領収書を書いて頂戴。
丸の内サディスティックの領収書の解釈、
人のために行動して報われなかったことがあるなら、
わかるよね。
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