友情は、ときどき素晴らしい。
でもそれは、距離感と、最低限の人間性が揃っているときに限る。
「私たちって友達だよね?」
この言葉を、わざわざ声に出して確認されるとき、
だいたい何かを引き受けさせられる前兆だ。
異性の場合は、もう少し露骨だ。
「お前と俺は友達だから、勘違いするな。」
だいたいこのセリフは、
向こうが先に好意を出してきて、
こちらが引こうとした瞬間に使われる。
友達という座布団を敷いて、
相手は安全に居座る。
そのあとは、感情の後始末だけがこちらに残る。
カリブ海をクルーズしていたとき、船の上でタバコが切れた。
同じ船で知り合ったフランス人の男性も喫煙者だった。
「お金払うから、一本ちょうだい」と言うと、
彼は首を振ってこう言った。
「お金はいらない。それが Amitié(友情)だ。」
不思議と、そこに恩着せがましさはなかった。
貸しを作る感じもなかった。
ただ、その場で必要なものを差し出して、終わりだった。
友情を使わない人は、
—— 友情を通貨にしない人
「友達なんだから」「仲良いでしょ?」
そう言ってくる人ほど、
実際には何も渡してこない。
時間も、労力も、責任も、
最後はいつもこちら持ちだ。
たいてい、そういう人は何も持っていない。
金も、覚悟も、関係を終わらせる勇気も。
だから友情を資産だと思い込む。
無形資産にしがみついて、
それを友情だと叫び続けるしかなかった。
「お金はいらない。それが Amitié(友情)だ。」いいね 今度おれも使お
返信削除