2025/09/30

ぷれい・すて〜しょん・まにふぇすと

今日、精神科の帰りに電車で考えていた。

友情って、株式投資と免疫システムの両方に似ている。


株式投資としての友情。

得られるリターンは「楽しさ」や「共感」。でも、そこに過剰なストレスというコストがかかるなら、その銘柄はもう手放した方がいい。お金が生まれない友情で赤字を垂れ流すほど、私は寛容じゃない。


免疫としての友情。

「嫌なやつと関わらなくなったら楽になった」と医者に話したら、「耐性がなくなるとそれはそれで大変」と返された。たしかに、免疫をゼロにすれば身体は楽だけど、いざ病原体に出会ったら無防備に倒れる。友情もきっとそうで、ストレスを与えてくる人と多少は関わらないと、社会に出た時に打たれ弱くなるのかもしれない。


でも、私は仕事でなら耐性をつけられる。イライラしても、そこには「お金」という確実なリターンがある。

だから友情には、もう投資しすぎない。免疫をつける場所は、友情じゃなくて仕事でいい。


友情とは、私にとっては配当の出ない株式であり、わざわざ感染する必要のないウイルスだ。

大人になった私は、それを理解して、ようやく手放せるようになった。

救いはブラジルにあった

昔、イタリア人の友達と遊んでたら、

彼女のスマホに「Sayonara」って名前で着信があった。


なにそれ?!って聞いたら、

「ブラジル人のヨガの先生だよ」って、あっさり。


──そんな名前、あっていいの?


調べてみたら、

ブラジルには「カゲロウ」とか「フジヤマ」とか、

響きだけで付けられた日本語ネームがけっこうあるらしい。


<サヨナラ>も、確かに実在しているようだった。


どうやらエキゾチックで、

カッコよく聞こえるらしい。

私たちが「エリザベス」「アレクサンドロス」って響きで勝手にときめくみたいに。


──それなら†破壊神†だって、地球では、ただの名前になるかもしれない。


名前って、本来もっと自由でいい。

意味不明なカッコよさも、国が違えばただの“文化”。


「厨二病」は、世界基準ではまだ未発掘の才能かもしれない。

日本で厨二病続けるには、ラッパーになるしかない。


でも、

救いは、ブラジルにあった。



世界のどこかに「サヨナラ」がいて、

今日もバランスボールの上で「ナマステ」って言ってる。


破壊神たちはまだ、

日本のネット掲示板に封印されたままだ。

2025/09/25

苗字って、呪いだと思う

夫婦別姓ってよく話題になるけど、

正直、私は結婚して相手の苗字にするのはそんなに抵抗ない。

でも「佐藤」とか「鈴木」とか、あまりにもありふれた苗字は

ちょっと嫌かもって思っちゃう。

ごめん、偏見だよね。笑


でもさ、

「夫婦別姓がいい」って女が言うと、生意気とか、わがままとか、

「家族の絆が〜」とか言われるの、なにそれって思う。

どうして“男の名前に従う”のがデフォルトなんだろう。


名前って、

呪いじゃない?


キャバ嬢もホストも、

かっこいい源氏名つけて別人になるし、

「千と千尋」だって、名前を奪われて「千」になった瞬間、

子どもの尊厳はすっと消える。自分の記憶すら危うくなる。

あれが風呂屋(=売春宿)のメタファーだっていう考察もあるし。


千と千尋で、千尋が自分の本当の名前を思い出して、湯婆婆の呪いから解放されるシーンに涙した男性がいたとする。

その“名を奪われる恐怖”に共感したはずの人が、現実で「奥さんが苗字変えるのって普通じゃん」って言ってるのを見ると、

もうホラーだなって思う。

魂の一部を奪われることの重みを、物語の中でだけ感じてる人たち。

本当の“神隠し”って、こっちじゃない?


西洋の悪魔もさ、

“名前を知られたら力を失う”って設定がよくある。


名前って、

人格であり、情報であり、支配権でもある。


それを「奪う」ことを、

まるで呼吸するみたいに当たり前にやってきた社会って、

けっこう怖いと思う。


昔みたいに「名字=土地や家業」って意味があるならまだわかるけど、

今なんてほとんどサラリーマン家庭じゃん。

なにを引き継ぐの?名字?エゴ?


だからって「女性差別だ!」って騒ぎたいわけじゃない。

ただ――

私は、誰かの“佐藤さん”になって、消えていく人生はちょっと嫌かも。