母は座敷童子が好きだった。
その響きにも、祀られた伝説にも、そしてなにより「現れると幸運をもたらす」という曖昧な保証にも。
「この旅館、ほんとうに出るんだって。行ってみたいよね」と笑う母に付き合って、私は二つの旅館を訪ねた。
緑風荘と、菅原別館。岩手県にある、いずれも“見た人には幸運が訪れる”という噂つきの宿だった。
緑風荘は、大きな古い旅館だった。
すべての建物が使われているわけではなく、一部はもう崩れかけていた。
でもその傷みかけた場所が、むしろ時間を閉じ込めているようで、私は好きだった。
夜、布団に入ってもなかなか寝つけなかった。母と連れ立ってトイレに行ったとき、「なんか赤ちゃんの声がするね」と小さく話した。
私は野良猫かなと思っていた。でも、母にはもっとはっきりと、部屋の前まで駆け寄ってくるような大音量の“泣き声”が聞こえていたらしい。
母は泣いた。怖さもあったのだろうけど、それだけじゃなかった。
「あなた、辛かったんだよね」
そんなふうに、誰にともなく、けれど確かにそこにいる誰かに向かって語りかけていた。
母は、座敷童子という存在を、ただの“ラッキーの象徴”としては見ていなかった。
殺されてしまった子、口減らしで消された子どもの魂じゃないか――そんな話を信じていたから。
そして、話しかけていたのは、きっとその“かわいそうな子”だった。
菅原別館ではもっとはっきりと「いた」。
白い球体が廊下の暗闇にものすごいスピードで飛んでいくのを私は見た。
母には見えていなかったけれど。
正直めちゃくちゃ怖かった。
私たちが泊まったのは、特に“出る”と噂されている部屋で、天井から竹でできたモービルのような飾りが吊るされていた。
ふざけ半分、でもどこか本気で「座敷童子さん、いるなら回してください」と声をかけた。
回った。
「風かもしれないね」と母が言うので、「じゃあ反対に回してくれる?」と声をかけた。
すると、本当に反対に回った。
「もっと速く!」と呼びかけると、びゅんびゅんと目が追いつかないほどの速さで回り出した。
あの部屋には、確かにいたと思う。
その旅館の若女将さんには、障がいのある小さな息子さんがいた。
よく幼稚園を脱走してしまうけど、必ず無事に見つかる。
きっとこの子にも座敷童子がついているんだろう、と話していた。
実の子ではないけれど、その子と若女将さんを愛している男性も宿で働いていた。
私はなんだか、いろんな境界線が柔らかくなっていくような感覚を覚えていた。
血のつながり、親子、霊と人間、過去と現在、見える人と見えない人。
全部、つながっていた気がした。
菅原別館に行ったあとの私の部屋は、少しおかしくなった。
勝手に電気が消えたり、写真を撮ると頻繁にオーブが写ったり。
天井の照明の紐に制服のリボンなようなものを私はつけていた。
それに向かって「回ってください」と言うと、本当に回った。
反対に回して、と言えば反対に。
「速く」と言えば、ありえないスピードで。
母は「念かもしれないね。信じる気持ちが強すぎて」と言っていた。
翌朝、母はリボンを外して塩と一緒に捨てた。
もうやめよう、って言って。
その後、緑風荘は火事に遭った。
「座敷童子がいる家は栄えるけど、いなくなったあとは一瞬で滅びる」
そういう噂も、後から聞いた。
あのときの赤ちゃんの声は、もう誰にも聞こえていないかもしれない。
でも私は、モービルの回転を、目に焼きつけたまま、大人になった。
菅原別館も緑風荘も共通してる点があった。
母が予約できますか?と電話すると、数年先までいっぱいなんです、と断られるんだけど、その後すぐに折り返しの電話がきて、
ちょうどキャンセルが出て予約ができたんだよね。
大人になって、もしかして演出?とか勘繰ったけど、わざわざそんなことするかな。
どっちの宿も別に高くないし、普通っぽい感じの人が経営してた。
でも、どっちも不思議なことが起きたのは確か。
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