2026/04/07

コーヒー一杯

昔、マッチングアプリで会った男が禿げていた。
その時点で、私は「ナシ」と判断していたと思う。

私はよく、自分の隙間時間に人を呼び出す。
その日もそうだった。少し不便な駅のカフェに来てもらった。
暇つぶしだったし、少しだけ負目もあったから、コーヒー代は私が払った。
早く帰りたかったから払っただけだった。

「女の子に奢られたの、初めて。」

彼は、驚いた顔でそう言った。

「今度は僕がご馳走するから、君から誘ってください。」

自分がナシ判定を受けていることを察して、
それでも関係の余地を残そうとする言い方だった。

それから数年経った最近、その男からDMが来た。
関西に転勤することになったらしい。

「ご馳走し返せなくて悲しい。」

たった一杯のコーヒーの話を、まだしていた。

彼はその後、マッチングアプリで知り合った女の子たちと飲み友達になり、
何度もフレンチを奢っているらしい。

それは健全な関係なのか、と聞いたけれど、
彼は「稼いでいるからいいんだ」と言った。

でも、その話をする時、
彼の中でそれは“特別な記憶”ではない。

たぶん、消耗として処理されている。

お金は関係を滑らかにするためのもののはずなのに、
ときどき、関係そのものを歪ませる。

人は、自分が差し出したものではなく、
自分が“想定外に与えられたもの”を記憶するのかもしれない。

フレンチは忘れても、コーヒー一杯は忘れない。

あるいは、あのコーヒーだけが、
彼にとって人間として扱われた唯一の瞬間だったのかもしれない。

——— ©️DSH / 2026

1 件のコメント:

  1. 私にとってこのブログはちょっと特別です。
    リアリティがあり、私にはない視点があり、それを盗み見する搾取的な感覚、そして犠牲者への敬意が感じとれるのです。

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