昔、マッチングアプリで会った男が禿げていた。
その時点で、私は「ナシ」と判断していたと思う。
私はよく、自分の隙間時間に人を呼び出す。
その日もそうだった。少し不便な駅のカフェに来てもらった。
暇つぶしだったし、少しだけ負目もあったから、コーヒー代は私が払った。
早く帰りたかったから払っただけだった。
「女の子に奢られたの、初めて。」
彼は、驚いた顔でそう言った。
「今度は僕がご馳走するから、君から誘ってください。」
自分がナシ判定を受けていることを察して、
それでも関係の余地を残そうとする言い方だった。
それから数年経った最近、その男からDMが来た。
関西に転勤することになったらしい。
「ご馳走し返せなくて悲しい。」
たった一杯のコーヒーの話を、まだしていた。
彼はその後、マッチングアプリで知り合った女の子たちと飲み友達になり、
何度もフレンチを奢っているらしい。
それは健全な関係なのか、と聞いたけれど、
彼は「稼いでいるからいいんだ」と言った。
でも、その話をする時、
彼の中でそれは“特別な記憶”ではない。
たぶん、消耗として処理されている。
お金は関係を滑らかにするためのもののはずなのに、
ときどき、関係そのものを歪ませる。
人は、自分が差し出したものではなく、
自分が“想定外に与えられたもの”を記憶するのかもしれない。
フレンチは忘れても、コーヒー一杯は忘れない。
あるいは、あのコーヒーだけが、
彼にとって人間として扱われた唯一の瞬間だったのかもしれない。
私にとってこのブログはちょっと特別です。
返信削除リアリティがあり、私にはない視点があり、それを盗み見する搾取的な感覚、そして犠牲者への敬意が感じとれるのです。